【ネタバレあり】映画「虐殺器官」感想と考察【伊藤計劃】

虐殺器官 MOVIE

2月3日金曜日の公開初日に観てきました。
この作品は小説をもう5年も前に読み、作品の虜となってしまっていました。
そこから長い時を経て、待望の映画化だったので是非記事にして感想を残したいと思いました。

まず最初の感想としては素晴らしいの一言。
原作者はすでにこの世にいない、最初に本作を制作していた制作会社の倒産、など普通のアニメ映画では考えられない苦難を乗り越えてこの世に登場した作品には様々な関わってきた人の思いが感じられました。

作画、演出、メッセージの深さなど2時間の中に込められたものがとても多く、かつハイクオリティで提供されているので濃密な時間を過ごすことができます。
満足できること間違い無しの良作だと思います。

しかし、やや難解なテーマのため、映画単体を見ているだけでは完全に理解はできるとは言えないでしょう。なので自分のためにも自分なりに考察をし、あなたと共有をしたいと思います。

 

「虐殺器官」とは

2007年6月に伊藤計劃により早川書房から刊行されたSF小説。
伊藤計劃のデビュー作品でもある。

 

あらすじ

9.11以降、テロとの戦いを経験した先進諸国は、自由と引き換えに徹底的なセキュリティ管理体制に移行することを選択し、
その恐怖を一掃。一方で後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加。世界は大きく二分されつつあった。

クラヴィス・シェパード大尉率いるアメリカ情報軍特殊検索群i分遣隊は、暗殺を請け負う唯一の部隊。
戦闘に適した心理状態を維持するための医療措置として「感情適応調整」「痛覚マスキング」等を施し、更には暗殺対象の心理チャートを読み込んで瞬時の対応を可能にする精鋭チームとして世界各地で紛争の首謀者暗殺ミッションに従事していた。

そんな中、浮かび上がる一人の名前。ジョン・ポール。
数々のミッションで暗殺対象リストに名前が掲載される謎のアメリカ人言語学者だ。
彼が訪れた国では必ず混沌の兆しが見られ、そして半年も待たずに内戦、大量虐殺が始まる。
母国アメリカを敵に回し、追跡を逃れ続けている“虐殺の王”ジョン・ポールの目的は一体何なのか。

 

伊藤計劃とは

2009年にわずか34歳という若さでその生涯を閉じた、SF作家です。
2007年にデビューしてから、発表した長編作品はわずか4作。

処女作となる「虐殺器官」

 

伊藤計劃本人が熱心なファンである小島秀夫から依頼されたメタルギアソリッド4のノベライズ作品「METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS」

 

遺作となった「虐殺器官」の後の世界を描いた「ハーモニー <harmony/>」

 

さらに、伊藤の没後、約30枚の未完の原稿を円城塔が引き継ぎ、伊藤との共著として完成させた「屍者の帝国」があります。

 

 

Project Itoh

ノイタミナムービーの第2弾であり、伊藤計劃の原作小説3作「虐殺器官」「ハーモニー <harmony/>」「屍者の帝国」を連続劇場アニメ化していく一大プロジェクト。

 

まず第一作目として、2015年10月に「屍者の帝国」が公開

 

同年11月に二作目、「ハーモニー <harmony/>」が公開

 

そして2017年2月に最後の作品「虐殺器官」が公開されました。

 

 

映画「虐殺器官」感想

作画

当初の公開日を1ヶ月延期、そして制作会社の倒産、そして新スタジオ設立を経てようやく完成した作品の作画は文句なしに最高です。

作中に登場するハイテクなメカ系のSF要素や十の質感などのミリタリ要素など男心をものすごくくすぐられました。
登場人物の持ち物もいちいち細かくハイテク化されていたり、街の雰囲気もほんとうにありそうな近未来感とでも言えば良いんでしょうか。信じられないほど現在から変わっているのではなく、今から少し技術が発展した世界という感じでゾクゾクします。

SFものにありがちなハイテクメカやその他の技術の説明は映画の中で語られることは少ないですが、必要な部分は説明されていますし、細かいところは気になった人は原作を再確認すればいい上に、見た目でとにかくすごいということが伝わるので丁度いい、という感じです。
ただ、原作を読まずに映画だけ見るとすこし分かりづらいところがあるかもしれません。

人工筋肉の描写だったり、コンタクト型の現実拡張デバイスだったり、とっても丁寧に書き込まれていた印象です。

人間の描写もモブ一人一人にもしっかり顔が付き、表情も豊かなので物語に深みが出ます。
背景の書き込みも素晴らしいので没入感があります。

 

演出

伊藤計劃の作品は一人称で物語が進んでいくことが特徴です。
「虐殺器官」でも主人公のクラヴィス・シェパードの「ぼく」視点の語りで物語が展開されます。

原作では一人称という特性上地の文で主人公の心理描写が細かく描かれている印象でしたが、映画ではモノローグ的に語られる心理描写は少なく、会話や表情で多く描かれるイメージでした。
その点で、登場人物、特に主人公の行動原理がイマイチわかりにくいと感じることもありました。しかし、観終わったあとから思い返すと、あのシーンはこういう意味があったのかと気づく場面がありました。
名作と呼ばれる小説と同じように何度か見返す毎に発見がありそうな作品だと感じました。

小説で言語化されている部分をうまく省略して、いかに表情や声の演技で描写をするかを追求したかのような印象を受けました。

 

主人公の心理描写と言えば、小説では描かれている主人公の人格を形成する上での大事な部分が思い切り描かれていなかったことには驚きました。
尺の関係もありますし、カットするところは大胆にカットし、映画という作品に収めるために原作から変えているところも多かったです。

 

↓↓↓以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。↓↓↓

ストーリーにそって考察

序盤のシーン

物語のエンディングにつながるシーンから場面転換し、現地へ潜入した暗殺部隊である主人公たちが任務を遂行する冒頭の場面で、現地語を理解するアレックスが車の中で流れる現地語のラジオを聞いていることが伏線になり、後にアレックスは感情の制御ができなくなり暴走します。

これは虐殺の文法と感情マスキングが互いに干渉しあったためだとのちにジョンポールによって説明されます。

虐殺の文法を用いて放送される現地語のラジオを聞いてしまったアレックスは感情をコントロールできなくなりますが、命令によってそのアレックスを殺すクラヴィスの感情は完全にフラット。これが虐殺の文法を用いられた人間とそうでない人間の対比構造に見えますが、現地の政府高官をあっさりと殺した=アレックス、暴走したアレックスをあっさりと殺した=クラヴィスが同質である、つまり言語によってもたらされる虐殺の文法とテクノロジーによってもたらされる感情マスキングが本質的には同じものであるということを示唆しているのではないかと考えました。

 

地獄は自分の頭のなかにあると言っていたアレックスは原作では避けられない自分の中の地獄に耐えきれず自殺をしたことからは大きく改変されています。

ここでアレックスを殺したことはクラヴィスの頭の中に残り続けます。

アレックスの死の描写は原作とは全く異なったものとなっているのですが、物語終盤のクラヴィスとウィリアムズの対比を表現するために一役買っています。

 

ピザのシーン

原作ではクラヴィスとウィリアムズがピザを食べ、バドワイザーを飲みながら自宅で映画のストリーミングサービスの無料の冒頭15分のシーンを延々と観るというシーンは、映画ではなくアメリカンフットボールの映像に変わっていました。

これは2人が典型的なアメリカ人であることの説明であると解釈しました。
また、細かいルールで守られた選手たちを見て、「過保護だ」と述べる2人も感情調整によってどんな残虐な行為をおこなっても感情がフラットなままという、「過保護」に守られているという状況の暗喩的ではありますが説明になっています。

 

プラハ潜入のシーン

このシーンは、クラヴィスが見る死者の国の悪夢を除いてほぼほぼ原作通りの展開ですね。
作中全体を通して、クラヴィスのこの悪夢や母親に関する描写はいっさいありません。
少し残念ですが、それでも話の筋は通るので仕方ないのかという感じです。

 

ルツィアに連れられてクラヴィスは認証のいらない、追跡のされないナイトクラブのオーナーであるルーシャスと会話をします。

若者は完全な自由が存在していると信じているがそんなものは存在しない。自由はある程度束縛があってこそ逆説的に生まれるという考え方です。
どこかで自由を得ることで、別の自由を放棄してしまう。

この会話に出てくる「自由は通貨である」という考え方は今までの自分にはなかった発想なので純粋に感心しました。

 

 

原作ではクラヴィスはルツィアに惹かれていると明言されているものの、映画ではその描写はあまりありません。強いて言うのならば、ルツィアがナイトクラブに生徒を連れてきたことが初めてであるという会話を受けてのクラヴィスが満更でもなさそうな感じくらいでしょうか。
それが映画でのクラヴィスの行動原理を読めなくさせている理由となっているので、もうすこし直接的な表現があったほうが良かったのかなと思いました。

 

ルツィアがジョン・ポールと寝ていたときにジョンの妻子はサラエボで核に焼かれたという告白のシーンで、ルツィア、ジョンの背負う罪と言うものが見えてきました。
この物語では全員が背負った罪に対してどう責任をとっていくのかが重要となるという話の大筋が見えてきます。

その後のクラヴィスが背負う罪について語り、それをルツィアが赦すというシーンがまるまるカットされていたのは痛かったですね。

原作ではクラヴィスはルツィアに罪に対する罰を、赦しを求めているとはっきり書かれているのですが・・・
このように映画では、クラヴィスのルツィアに対する感情がとてもわかりづらくなります。
映画の中でのクラヴィスの罪としては子どもを含めてかなりの数の殺しを行っていることや、それをしても感情がフラットなままのことだけしか描写されていないのでそこのカットは自然なのですがすこし残念ですね。

 

ジョン・ポールとの初めての邂逅

「計数されざるもの」(=サラエボの核爆発によって、行方不明者となった人間の指紋や網膜などの各パーツを利用することで各種認証を欺き、この追跡可能社会から追跡されなくなった人間たち)に捕えられることとなってしまったクラヴィスはついに、【虐殺の王】ジョン・ポール邂逅します。
ここでは虐殺の文法とは何か、どうして生まれたのかという物語のキーとなる部分が人間の生得的な文生成機能を通して明かされます。
ここでは世界に虐殺を振りまくジョン・ポールがそれでもなお正気も正気であるという異常さや、クラヴィスがいかにその社会の現実に目を背けてきたかがわかります。
音は意味を伝える事ができ、耳に瞼はないという言葉がここで大きな意味を持つようになります。

ジョン・ポールがその場を後にすると続いて「計数されざるもの」のリーダーだったルーシャスとの会話が再度始まります。

過度な追跡可能社会に住む人は、なんでも情報を得ることができるにも関わらず、知りたい情報しか得ない、見たいものしか見ないことをクラヴィスは気付かされます。

 

ジョン・ポールの捕縛任務

クラヴィスの所属するi分遣隊は、虐殺の王ジョン・ポールを捕縛する任務を受けインドへと出発します。
そこでの幼年兵遭遇交戦可能性(通称CEEP)はほぼ確実、つまりクラヴィスたちは年端もいかない少年少女に手をかけることを余儀なくされています。

戦場へ赴く兵士たちへ軍はカウンセリングにより感情を調整され、脳の特定のモジュールにマスキングを施して不要な感覚を排除されているので、子どもを射殺しても何も感じることはないし、たとえ腕がちぎれても「痛みがある」ということは認識できるが「痛い」と感じることはありません。これが感情マスキングや痛覚マスキングです。

 

虐殺を引き起こす人間を追い、それを止める任務の中で、自分も無感情に殺戮を行っているこという矛盾にクラヴィスは疑問を持つようになります。

人を殺めているが、それに対して罪悪感を抱くことはなく、任務だからと納得しているのです。

 

そして捕縛に成功したジョン・ポールからクラヴィスは虐殺の文法の効果はクラヴィス達が受けている感情の抑制と変わりがないという話をされます。
クラヴィスたちはテクノロジーによって、ジョンは言葉の力によって、脳の特定のモジュールの活動を抑制している。
結果として、お互いに虐殺を起こしている。
さらに、感情の抑制を受けている人間に対して、虐殺の文法は相乗効果的に働くというジョンの発言で、冒頭のシーンでアレックスに何が起こったかを理解し、そして自身とジョンが行っていることは本質的に同じということに気付かされます。

 

しかし、クラヴィス達は捕縛したジョン・ポールをアメリカへの輸送中に、ユージーン&クルップス社に襲撃され奪還されてしまいます。

 

ラストシーン

奪還されたジョン・ポールを求めて、クラヴィス達は最後の出動をします。

ここではジョン・ポールがなぜ、各地で虐殺を振りまいたのかが語られます。

 

ジョン・ポールの行動原理は「愛する人を守るため」
ジョンは愛国心溢れる人でした。
ソマリアのテロで妻子を失ってから、これ以上自分の愛している人を失う悲しみに耐えられませんでした。
そして、愛する人々、これはジョンの所属するアメリカ人です、とそれ以外の人々、ジョンが虐殺を振りまいて歩いた国々の人々、をくっきりと分け、愛する人々のためにその他の人間には犠牲になってもらうという考えを持つようになりました。

具体的には、追跡可能性が極限まで高まった社会で結局アメリカ国内でのテロリズムが増えているという事実、それを食い止めるためにはテロを起こす人たちにアメリカを攻撃するのではなく、自国内で殺し合ってもらう、内戦を起こして虐殺を誘発する。
その結果としてその矛はアメリカに向くことはなく、アメリカ国民は平和に暮らすことができる、と言うものです。

 

その場にいたルツィアはジョンに銃を突きつけ、犯した罪に対して責任を、罰を受けろといいます。
そしてクラヴィスにジョンの逮捕を願うのです。
しかし、ルツィアはクラヴィスの同僚であるウィリアムズにあっさり射殺されてしまいます。
ウィリアムズにはジョンとルツィアの射殺命令が出ていたのです。
ここでは劇中冒頭のクラヴィスとウィリアムズが重ねられて描かれています。

感情のコントロールが効かなくなったアレックスをあっさりと殺したクラヴィスと、
命令によってあっさりとルツィアを殺したウィリアムズ

そしてクラヴィスはルツィアという愛する人を亡くします。

 

そしてクラヴィスとジョンは2人でウィリアムズやその場にいるアフリカの武装勢力から逃げ、大きな樹の下で足を止めます。

ただ命令されるがままに戦場で多くの命を無感情に奪いってきたクラヴィス、虐殺の種をまくことでその背中に多くの命を背負ったジョン。
ここからはクラヴィスとジョンが重ねられることになります。

無責任に殺戮を犯してきたクラヴィスと奪ってきた命を自覚しながらそれでも虐殺を繰り返したジョン。

 

ジョンは自分なりに奪ってきた命に対して逃げることなく受け入れていました。
クラヴィスは責任を、罰を受けていません。

クラヴィスはジョンを殺します。
責任を果たすために。
小説では救援に来た仲間にジョンが殺されますが、これはクラヴィスが殺して良かったと思います。

 

エピローグ

クラヴィスが最終的に選択したことは、アメリカ以外の国を守るために、アメリカを虐殺の海に沈めることでした。
クラヴィスは虐殺の文法でジョンが起こしたこの一大事件を語ることです。覇権言語である英語を用いて。

その結果、アメリカのピザの普遍性は失われ、追跡可能社会はいともたやすく崩壊しました。
それでも、クラヴィスが今まで殺してきたような国の人々は内戦を起こすことも、アメリカに対してテロを起こすこともなくなりました。
アメリカは勝手に内部で自滅しているからそんなことをする必要もなくなったという方が正しいかもしれません。

クラヴィスは今まで殺してきた国の人々を守るため、今までの罪に対して、アメリカを混沌に陥れることで責任を取ることにしました。

 

 

というのが最初に私が考察したものだったのですが、どうしても虐殺の文法を使用してまで世界に混沌をもたらしたクラヴィスの思考が読めませんでした。そこでもう一度考え直してみたところジョンポールとの対比をすることで見えてきたものがあります。

 

クラヴィスは、生(または死)の実感を得たかったというものです。

作中ジョンポールはあくまで正気で、今まで自分の手は汚してはいないものの、自分が実質的に殺してきた命は全て背負っているつもりだと言いました。

対してクラヴィスは、感情マスキングを施され、自分の殺意が自分のものかもわからない状況、さらに本質的には感情マスキングは虐殺の文法と変わりがないことも教えられ、今までの、自分の行動や感情に実感が持てていないのです。アレックスを殺したにも関わらず、罪悪感を持っていないことに罪悪感を感じているのかもしれません。

そこでクラヴィスは、自身の意思によって虐殺の文法を使用することによって、殺したという実感、罪の意識というものを感じ取ろうとしたのではないでしょうか。

 

 

用語解説

虐殺の文法

作中でジョンポールが操り、世界各国で虐殺を引き起こした直接のツールのようなもの。
言語の中の深層文法の特定のパターンであり、ナチスドイツなどの虐殺が起こった国の政見放送や国民の発言など、国内の様々な言葉の中に現れる。
プロパガンダなどの人の目に映り大きな影響を与える媒体との親和性が高く、発言力の高い人間を狙ってこれを仕込めば一瞬の間に国中に虐殺をばら撒くことが可能となる。

その効果としては、人間の脳の中の特定のモジュール、特に「良心」を司る部分を機能停止に追い込み、身近に虐殺といった非道なことが行われても正当なものと認識したり、なぜ虐殺という手段に至ったのか冷静に思考する機会を奪ってしまう。
言葉によって人の間に伝播し、「感染」していく。

政府の高官や軍のトップなど組織の中枢を担う人物に効率よく虐殺の文法を仕込むことで簡単に人間たちを虐殺へ誘うことができる。

 

ジョンポールはこれを人間の進化の過程で生まれた太古から備わる機能の一つだと説明した。
昔、あるコミュニティがあった。そのコミュニティが発展するにしたがって人口は増えるが、徐々に食糧難に直面することになる。そうすると、個が生存するためには集団の人数が減らなければならない。したがってコミュニティの中で虐殺が起こるようになる。
これは一見コミュニティを破滅させ、個を殺しているように見えるが、虐殺が進むと食糧難は解決し、結局は個の生存に貢献している。
そのような機能が太古から人間には備わっており、現在も消滅はしていない。

ジョンポールは実際に虐殺の起こった場所のあらゆるテキストを集め、その深層に潜むパターンを見つけ出すことでこれを自由に他の言語に仕込むことができるようになった。

 

まとめ

以上が本作の自分なりの解釈、感想です。
終始、哲学的な内容が多く、論理的に話が展開されていきます。
伊藤計劃の世界観に引き込まれ続ける作品です。
もうこの世にいないにも関わらず作品が映画化され、更に多くの人の目につくということはいちファンからしてもとても嬉しいことです。

 

また小説読み返してみようと思います。

それではまた。

 

コメント

  1. Proxy より:

    私の大部分の感想は先の方々が余す所なく書かれているので省きますが、クラヴィスが祖国を虐殺と言う混沌の海へ沈めたのは、愛するルツィアが死んでしまったのでもう生きる意味がないと思ったのも理由の一つかも知れませんね。
    そんなの大前提だ。と感じられたのなら盛大な蛇足で大変恐縮なのですが。

    それと核が起爆したのはサラエボではないでしょうか?
    また、ジョンを輸送中に襲撃したのはユージーン&クルップス社だった気がします。

    自分は小説未読。そしてだだの私の勘違いの可能性も十分ありますが、ご参考まで。

    • まーしー より:

      読んでいただきありがとうございます。
      確かに、単純なところを見落としていました。ルツィアの死はクラヴィスに大きな影響を与えていることは恐らくあるでしょう。ただ、生きる意味をなくしたという点には疑問がありまして、原作でクラヴィスは虐殺がアメリカを侵食する間、食料品を買い込んで家で映画を見ているんですよね。しかも、家にやってきたこそ泥を射殺までして。生きる意味をなくした人間の行動としてはそこらへんがどうにもしっくり来ません。もし虐殺が終盤となったら自殺やそのたアクションを起こすかもしれませんが、とりあえずは絶望して自分も死のうという感情は読み取れませんでした。
      ここからは個人的な想像ですが、もし、そのような生きる意味をなくすような絶望の感情がクラヴィスにあったとしたら、演出的に自宅で自殺しているシーンが映画のラストになりそうな感じがあるんですよね。あえてクラヴィスを生かしてラストを迎えさせた意味は確かにあると思います。どうでしょう。

      核爆発の事件が起きたのはサラエボですね。ジョン・ポール輸送中の襲撃者も原作にもまず間違いなくユージーン&クルップス社によるものだという記述がありました。記事を修正しておきます。鋭いご指摘ありがとうございました。

  2. 焼きほっけ より:

    記事、拝読させて頂きました。私は原作既読で映画公開を心待ちにしていた者なのですが、原作と映画の差が綺麗にまとまったわかりやすい記事ですね。
    原作では物語の大事な導入部であった、クラヴィスにとって大切な人についてのシーンが全てカットされていたのは私も驚きました。私も「尺の都合上仕方ないか」と思いましたし、逆にそれをカットすることでクラヴィスの人格の特徴が1つ無くなり、視聴者が感情移入しやすくなったのでは?とも思いました。
    さて、コメントで議論になっている『クラヴィスがなぜ英語で虐殺の文法を語ったか』についてなのですが、私はクラヴィスは真実を知るただ一人の人間として、ジョン・ポールと彼が虐殺した人々を犠牲に平和を享受していた人々(クラヴィス自身も含む)に罪の精算をさせたのだと思います。
    罪の精算が、ただ虐殺の真実を人々が知るだけでは不足なのは、虐殺によって平和を得ていた人々は、容易にその平和を手放そうとしない事が予測されるからです。この『真実を知っても、虐殺による平和を手放そうとしない人々』の代表がウィリアムズで、ウィリアムズが無関係のルツィアを殺しつつ「ハラペーニョピザの普遍性を守る」と語る部分に、真実を知ってもなお人々が虐殺を野放しにするだろうことが示唆されている、と読み取りました。
    クラヴィスは自分達の平和の為なら、自分達の視野の範囲外でいくら虐殺が行われようと構わない、という人間そのものに絶望を感じ、人間を『滅びるべき』だと考え、またそれが今まで殺してきた人々への贖罪になると考えたのではないかと思います。

    • まーしー より:

      読んでいただき、ありがとうございます。返信が遅くなり、申し訳ございません。
      そうですね、たしかにクラヴィスの母のシーン、それに伴ってかはわかりませんがクラヴィスが言葉を実体として実感できるという特徴を削ることによってより一般的な人間に近づけることによって感情移入がしやすくなるというのはおそらくあると思います。

      なるほど、興味深い考察ですね。
      虐殺の文法の存在だけを明らかにしてしまうと、新たな大量殺戮兵器としての存在意義や価値が生まれてしまうこともあると思います。
      人工筋肉のあたりの描写でも自分で調べることができるにも関わらず人々は調べようとしないということも自分の罪に無意識、目を背けていることの暗喩にもなっているのかと気づきました。
      ウィリアムズは真実を知ってしまった後の大半の人間の反応の示唆ということですね。ウィリアムズがルツィアを殺したのは単純に感情マスキングをされており、命令を遂行しただけなのではという印象もありますがどうなのでしょうか。
      アメリカはカウンセリング大国ということもあり、一般人も普通にカウンセリングを受けているために、ウィリアムズとほぼ同じ状況を考えると腑に落ちますね。

      大変興味深い考察です。自分の考えもより深まりました。ありがとうございます。
      人間そのものに絶望したというのは動機としては十分に考えられるものだったのですが、そこに至るまでの思考回路が読めなかったのですが、理解することができました。

  3. 浅瀬 より:

    感想読みました。ありがとうございます、劇場帰りの熱さは同じ物を見、似た感性以上での感想を入れ込むに限ります。
    当方原作どころか恥ずかしながら著者すら知りませんでした。こんな面白い物を作れる人がいたなんて、こんな素晴らしい人をもう亡くしていたなんて。高揚とショックが混ざりおかしな気分です。
    「思考は言葉によって規定されない」でしたか(聞き違いやもしれません)、劇中人物の言葉に惹かれ見ましたが本当に良かった。原作を知らない人間をここまで楽しませる製作陣に感動しました。
    まさかアクション好きの私が劇中の会話に最も惹かれるなんて。もう読めいんです、会話の先が。ジョン・ポールが真意を語って初めてわかるんです。ハッとさせられる台詞がいくつもありました。考えさせられました。娯楽作品は大好きでむしろ視聴後疲弊したくない分娯楽作品ばかりみていましたが、もう、これはもう、貧弱な語彙ではどうにもならない程、まとめるとこの作品が好きとしか言えません。
    解説は原作の違いを絡めつつ大変分かりやすいものでした。特にカットされたというシェパードとルツィア関連。惹かれる理由はわかりますし(美人で、なにより会話が出来たのが大きいと思いました。シェパードの嗜好上文学的な会話といいますか、自分が言いたいことをわかって、欲しい返答以上のものを返す異性に惹かれないわけはないと。未読組なので想像ですが)それでもあそこまで重い存在になってたのかと疑問でした。納得です。
    ジョン・ポールの最期も原作と違うようですが、誰が殺すかの違いですし劇中の方もアリかと。なによりラストのシェパードの思考、まさに同感です。もやもやがすとんと落ちました。ありがとうございます。
    しかしハンバーグになるまで辺り一連のシーン、シェパードの冗談は本当に笑えなかったです。精一杯の冗談にしても笑えなかったです。

    すみません、数時間前に見たばかりで、支離滅裂なコメントを残してしまいます。
    ありがとうございました。この作品に出会えて良かった。この感想を読めて良かった。ハーモニーも読みます、見ます。

    • まーしー より:

      読んでいただきありがとうございます。返信が遅くなり、申し訳ございません。
      伊藤計劃さん、本当に惜しい人を亡くしましたよね。もし、さらに作品が夜に送り出されていたらと考えると悲しくてたまりません。

      「思考は言葉によって規定されない」など様々名台詞が散りばめられていますよね。言葉のセンスといいますか、台詞回しは流石ですし、音声がつくという映画独自の魅力も十分に引き出されていると感じます。映画単体の完成度もとても高く、制作陣の熱が伝わります。
      SFアクションと一見矛盾しかねない程に重い哲学的なテーマ見事に調和してお互いにその良さを高めあっている作品だと思います。

      あんな話の合う男女がいたら恋愛感情が合って当然だと思います。(笑)クラヴィスとルツィアの関係は語られてしまい、そこに焦点があたってしまうとなると露骨に恋愛感情がむきだしになってしまい、なんというか世俗的な印象の作品になってしまう気もしたので映画はあれで良かったと思います。補完を原作で行えるのも作品を何度も楽しめる良いところかなと解釈しています。

      ジョン・ポールの最期は個人的にはクラヴィスの決心の瞬間のタイミングの示唆の違いだと個人的には考えています。結末は変わらないのですが、クラヴィスの手で殺したほうが引導を渡した感じがしますし、演出的にはテンポも良くなりますしね。

      ブラックジョークは結構きついですよね(笑)

      ハーモニーもとても素晴らしい作品なので是非見てみてください。できたら感想を語り合いたいですね。屍者の帝国も面白いですよ。

  4. もずく より:

    感想読みました。
    とても興味深いです
    映画を見に行き少しモヤモヤしたので原作を買って読んでいます。
    原作の方が自分的にはしっくり来て読んでて楽しいです。
    エピローグでクラヴィスが英語で文法を言った様なんですが。その文法は「This is my story」と言う言葉が最後出て終わりました。あれがクラヴィスが出した虐殺の文法だったのでしょうか。

    虐殺器官はそう遠くない未来なのかなと思います。世界からテロが消えたら争いが無くなるのかって考えさせられます。テロが消えたとしても争いが無くなることは無いんじゃないかなと私は思います。

    • まーしー より:

      読んでいただきありがとうござます。
      原作はやはり濃いというか、どちらかというと映画の方が尺の影響で削られている感じでしょうか。
      原作を読むと理解も深まりますよね。しかし、やはり原作と映画のクラヴィスが完全に同一人物ではないので注意が必要だと思います。原作では重要なシーンが映画だとバッサリ削られていたりしますから。

      虐殺の文法というのは単語ひとつや文ひとつに現れるものではなく、大きな文脈の中の深層に隠れているパターンだと考えられます。
      劇中でクラヴィスが付箋をつけたり貼ったりしながら文章を考えていました。あの一連の作業全体によってクラヴィスのスピーチの内容に虐殺の文法を仕組間れたんだと思います。最後の一文だけが虐殺の文法を使用した言葉なのではなく、クラヴィスのスピーチ全体が虐殺の文法を用いて作られたと考えられるのが自然かなと思います。
      「This is my story.」というのは単純に1人称で語られていたこの物語の終了を意味しているのではないかと私は考えました。

      現在の人類は他の人類を虐殺して今地球で覇権的な存在にあるという話を聞いたことがあります。
      悲しいかな人間は争いを避けることができない種族なのかもしれません。
      でもそうだとしてもクラヴィスのように争いを引き起こすのではなく、争いを避けようとする気持ちを常に持っていたいですね。

  5. 流離の七瀬 より:

    ご回答、ありがとうございました。

    そうなんです、何故英語を使って虐殺の文法を使ったのかが、
    どうしてもしっくり来ないのです。
    原作のご説明を頂きましたが、大体そんな感じだろうな~、
    とは思っていたのですが、それにしてもちょっと納得が・・・・
    なので、どちらかと言うと、虐殺器官が人間に備わっていて、
    それを非常時に行使するのが人間の正常な状態であるのならば、
    外の世界だけではなく、内の世界にも正常な状態に戻ってもらおうと言う、
    単純な動機だったのかな?と難しく考えるのを辞めました(苦笑
    これなら、「虐殺器官」と「ハーモニー」での対比になるのかな?
    「虐殺器官」=本能で犠牲を容認する世界
    「ハーモニー」=理性で犠牲を否認する世界

    ガジェット系がすべて海の生物に由来するのは皮肉だったのでしょうかね?
    人口筋肉の下りで、五大湖で養殖しているみたいなセリフありましたし。
    まぁ、産業として成り立っているのだから、普通に工場での培養しかありえないと
    思いましたけど、そこはご愛嬌ですかね。

    • まーしー より:

      もう一度自分なりに虐殺の文法を使用した理由を考えてみたのですが、生きている実感、自分で人を殺している実感が欲しかったのではないかと考えました。
      劇中で、自分の殺意は本当に自分のものなのかどうか、悩んでいるシーンがありました。痛みの実感はあるが、痛いと感じることはないと同僚も言っていました。暗殺という人の死に近い場所にいながら最も死の実感から離れていました。クラヴィスはその実感が欲しかったのではないでしょうか。原作でも「心の中の空虚」に虐殺の文法がぴったり当てはまったと言っていました。
      本文にも書きましたがこれでジョンポールと対比が完成するのではないかと考察しましたがいかかでしょうか

      虐殺器官をハーモニーの対比構造は面白そうですね。
      今度また考察して記事にしたいです。

      人工筋肉というからには何か培養ポットみたいなので養殖されているのを想像しましたが違いましたね。(笑)

  6. 流離の七瀬 より:

    とても興味深く感想を読ませて頂きました。
    私は原作を読んで居ないため、映画のみの内容でしか判断出来ませんが、
    エピローグ部分については、あれはアメリカだけを狙ったのではなく、
    劇中でも語られていましたが、覇権言語である英語を用いる事で、
    ほぼ全世界を巻き込んでの自爆テロだったのかな?と思っていました。
    何せ、英語ですから、かなりの国であの映像を見てしまえば同じ状況になりますからね。
    言語が理解されている=影響を受ける、と冒頭でアレックスがそうなったように・・・・
    で、世界的にそういう状況が発生した為に「ハーモニー」に繋がったのかな?と
    愚考した次第です。

    何はともあれ、非常に良い作品でしたね。

    蛇足ですが、本当に戦闘描写の部分のツール類は、
    非常に米軍でやりそうな感じでしたね。
    特に成層圏を飛んでる感じのプラットホーム的な母機。
    あれ、本当にやりそうですね。衛星軌道高度では無いにせよ、
    軌道降下作戦が出来る上に、支援攻撃まで行えるとか。
    元々のHALOがあるので、コンセプトとしては完璧ですね。
    まぁ、ステルス性が劣悪っぽく、レーダーで捕捉されそうな物ですけど。

    • まーしー より:

      読んでいただきありがとうございます。返信が遅れてすみません。
      おっしゃる通り、英語が作中の世界の覇権言語であることは明言されていましたし、そこに虐殺の文法を用いることで世界中が大混乱に陥ることはクラヴィスも間違いなく考えていたことだと思います。
      それが結果としてハーモニーの世界に繋がります。

      しかし、ただ世界に真実(ジョンポールの行ったことや虐殺の文法の存在)を伝えるだけでよかったクラヴィスが、なぜ虐殺の文法を用いてしまったのか、という疑問に対して自分なりに考えたのですが、いまいちしっくりこないんですよね・・・
      ルツィアを殺され、、虐殺の文法を用いられた人間と自分の違いがわからなくなってしまったなどが原因で世界に絶望し、そして世界を滅ぼすに近いことを行った。これが流離の七瀬様の考察に近いものかと思われます。
      しかし原作には、ジョンポールが世界を内と外で分け、内のために外の世界には犠牲にしても良いと考えたのと同じように、クラヴィスも同じように世界を分け、外の世界の平穏を取り戻すために内の世界を混乱に落とすことでジョンポールや自分が今までやってきたことに対する責任を取った、というようなものが書かれているんですよね。出来る限り小説のネタバレは減らしたかったので説明不足でした。すみません。
      もう少し自分なりに考察して再度記事を更新したいと思います。ありがとうございます。

      ガジェット系はかなり細かく描かれていましたね。
      空飛ぶ海苔『フライングシーウィード』のことですね。
      航空機よりもヘリコプターのように滞空性能も高そうでしたしあとはステルス性さえ高ければ本当に・・・って感じですかね。
      一応原作ではステルス性はバッチリとのことだったんですけどしっかり捕捉されて撃墜されかねてますからね(笑)